アルフォン少尉の館 屋根裏の手記

館主碧髪のサーダによる2005年10月下旬からの更新記録を兼ねた製作秘話

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合掌。

2006年08月31日(Thu) 14:22:30

 館大震災から一年。時効。いやー、四つ巴で酷い目に遭いましたな。それが当館のリンク先方々にまで蔓延することになった(大変申し訳ないが感染先様は外させて頂いた。どうぞ背中にお気をつけ下さい)。兎も角、収め切れなかったのはホストの力量不足ということになるのだろう。今更だが紳士道なるページを作ってみたけど、荒らすのが目的のヒトには全く何の効果もないどころか、更に裏を実践されるんだろうなあ。でもまあ、悪意なき無知・悪意なき無神経は幾分緩和されるだろうか。このくらいのことは紳士の作法でも何でもなく、当たり前のことだと思っていたけど・・・・・・そうではなかったらしい。

 ただ、開館半年でこういう烈震に遭ったことは今となってはむしろ良かったのかもと感じるのだ。まさかあの品のいい人が、まさかあの親切な人が、と思うような青天の霹靂だった。どんなに心を尽くしても、どんなに言葉を尽くしても、どんなに誠意を尽くしても、理解能力がなければきっと一生解らない。断腸の思いであるが、もうお運び下さいませんように、とお願いした。

 わたくしは2ちゃんねるが、それでも好きだ。どこの誰だか判らないとみんなこんなに自由に考えていることを語れるではないか。誰だって褒められれば嬉しいだろうけど、世辞としか思えぬような甘っちょろい感想だけが並んでいるのは何の改善の手がかりにもならない。作品に対する批判は非難ではない。切り捨てるべきではない。勿論、匿名性は一方で流言飛語を産む危険があるけれども。

 昔とある文章書きの講座でもげんなりすることがあった。合評会が褒め合い合戦になってしまったのだ。親睦が目的なのか ? なら結構。どう贔屓目に見ても駄目な作品(日本語以前だったりする)が褒めそやされる。何の建設的意見も出ない。たまに冷静な批評が出ると、ひそひそと仲良し同士で群れて折角批評してくれた人の陰口を言い始める(そういうことをやっている当事者は大抵オバサンだった)。やれやれ、と見切りをつけて新しい場を探したものだ・・・・・・

 色々心配してくれた親衛隊のヒト、別にこんなテロリズムで息の根とまったりしないし、作品も気が向いたら書くよ。なんつったってヤマトは30年も同人が続いてるんだからね。ヤマトでは全然萌えなくて009一辺倒の時期もあった。今はプチ極道うさぎいぬに溺れちゃってモチベーションが下がってる。だから余り書きたくない。書けと言われて書けるものではない。ですらんどのマスターみたいに、「おもてなしをしなければ」なんてとても立派な方もいらっしゃるけど、わたくしはそういう考えは全く無いのだ。自分が書きたいと思ったらやめろと言われても書くし、今はその逆。

 最後にポチ、御免。読者代表で館に関わってしまったばかりに、全く関係もないあなたにまで非常に厭な思いをさせてしまったことは一生の不覚だ。あまつさえあなたに酷いことを言う者が居るのは絶対に許せない。頭がおかしいとしか考えられない。
 アルフォン少尉支持者の方はどうぞ地下で自由に遊んで下さい。ここだけは安全だよ。

 では再び放置プレイに入る。新刊出ちゃった!!ひみつ基地
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誕生日

2006年08月28日(Mon) 09:45:38

 8/28はゲーテの誕生日、カール・ベームの誕生日、そして自殺した指導教授の誕生日。生きていたとしても今50代か。早熟の秀才は薄命というのが運命のようだが・・・・・・
 わたくしの周りには自殺未遂は殆ど居ないが自殺を成し遂げた人は何人も居る。合掌。

偏食はビョーキではない

2006年08月28日(Mon) 00:04:25

 今日はヲシゴト一段落の日。やれやれこれでこの夏も越せたな、と息をつく。出先の待ち時間がまた長かったので二冊読了。『生きにくい・・・』の方は方々に載せた短めのものを一冊にまとめた本。だからだろうか、散漫な印象が残る。「神経症的時間論」の項だけが読み応えあった。これについては電車の中で斜め読みというわけにはいかない。うすうす判ってはいるけど、改めてSFの時間論がいいかげんであると認識する。こういう厳密なことを考え出すと物語が成り立たなくなるのだ。だから仕方ないのさSFは。
こちらは日記みたいな雑文だけど、そのゆえにリアルで面白い。相変わらず騒音・無駄な照明と戦い続けている様子だとか、出版社や編集者との丁々発矢、愛息子ヒロシくんのこと、塾生たちとの古典ギリシア的愛関係など、あの偏屈ヲヤヂが「かわいらしい」などと感じるモノゴトもあるのだなあと感慨深い。偏食記についてはむしろ日々の添え物である。

 ただこの「偏食」という切り口は大変斬新であるように思える。普通世間一般では偏食は「わるい」ことに分類されているけれど、はたしてそちら側の人は本当に偏食しない人なのであるか。

 引用「「美味しいから」という理由は、それらを私が食べるいかなる要因にもならない。そういうマジョリティだって、「食べてごらんよ。あなたが飼っていたこの子猫、とても美味しいから」と言っても食べないであろう。この場合、あなたは不味いから食べないのではない。ただ「あなたが飼っていた子猫」という観念が、その肉を食べさせなくしているのである。」(p.4)

 つまり、食わず嫌いというのもありなのだ。美味しければ、或いは美味しくなくても身体に良ければ何でも食べるべき、というのは単なる観念であって、逆に見た目や名前が気持ち悪いから食べたくないというのも観念なのである。
 わたくしは食に関しては淡白で、余りこういうことを考えた経験が無かった。嫌いなものはあることはあるけど、避けて通れる程度のものだったから(ついでに好きなものは「我が胸にショコラありせば」。ナポレオンみたいだろ)。
 いずれにしても個人的趣味を主張することの正当性へと究極的には文化論に結びついている。流石だね。
 また、本当に偏食で周りの人からやいのやいの言われている人には福音であろう。

「霊安室」設置、「蛇の目」収納

2006年08月26日(Sat) 22:44:09

 何だかうさぎいぬに溺れている間に五ヶ月も経ってしまっていたのだね。先日のビソコさんの作品群に触発されて、さささっと書いてみた。もう少し寝かせた方が良いかとも思ったけど、勢いのあるうちに上げてしまおう。
 ビソコさんに献辞をつけようかどうしようかと迷ったが、何しろ作品の内容が内容だけに余り喜ばれないかも知れないと思い、とどまる。気持ちだけはエールのつもりだ。願わくば館のように荒らしに遭われませんように。びそっ子さんとのお付合いも丁度一年になろうとしているね。

ウィーン愛憎

2006年08月25日(Fri) 23:58:32

 
 引き続き中島本を読んでいる。今日は出先で待ち時間が2時間ほどあったため、買うなり半分くらい読んでしまった『ウィーン愛憎』。33歳で私費留学した日本社会からのドロップアウトが、いかにして異文化社会をサバイバルしたか・・・・・・これは、『うるさい日本の私』を先に知ってしまった今となってはまだまだヤワだった中島を知る、読者的にはほっとする一冊だ。

 ヨーロッパの社会は(暮らした人は知っている通り)ヤワではない。というか、わたくしの感じ方としてはそれが普通。ここで文化論を言うつもりではない。ただ自分には余程あちらのやり方が合理的に感じられるのである。どちらがいいとかわるいとかではなくて、わたくしには合理的なやり方の方が合っている。甘っちょろい感情論は大嫌いなのである。好みの問題と思って下さればよい。
 だから当時中島の受けたカルチャーショックの数々にはそれほど驚かなかった。不注意、不遇、不運には同情するが、それがヨーロッパなんだよね、フツーなんだよね、とやや冷たく距離を置いて眺めてしまう。若き日の中島がやはり充分日本青年であって、ウィーンで目を白黒させていた様子が思い浮かぶような、赤裸々な日記だ。

 むしろ、中島のなした個人的な勉強量の方に非常に頭が下がった。中島は自分のことをいつも随分と出来損ないであるように書くのだが、どうしてどうして、学者として一流であることをひけらかしもせず、しかし客観的なものの書き方によって読者には判ってしまう。
 ウィーンの大学で正規の学生になるために煩瑣な手続きを全部ひとりでやり、ラテン語の三時間にも及ぶ筆記試験と口頭試問にも合格し、とうとう博士論文を日本ではなく本場の大学で(ドイツ語で)仕上げて学位を取るまでに至った経緯は、涙を誘うほどである。こんな書き方でははしょり過ぎで申し訳ないが、それは良かったら読んで頂くことにして。

 中島が現在人格的にどんなに厭なヲヤジであるとしても、わたくしはこの勉強量には大いに敬意を示す。現在までに中島が専門書以外にも夥しい数の著書を出して来たのには、こうした充分な下積みの時代があったからのように感じる。一朝一夕には戦う哲学者は育たなかったのだと。ローマは一日にして成らずと。

 ついでに、中島の本には誤植というものが無いのだが、著者自身が充分に言葉を選び、読み直し、厳しい校閲を課しているからだ。この姿勢は文章に関わる人間は見習うべきである。と言うか当然備わっているべき姿勢である。巷に溢れる誤字脱字変換ミス外国語のスペルミスを目にするにつけ、「書いた奴出て来い!」と言いたくなる。言葉に対する愛情の欠如。冒涜。一箇所だけならまだしも、一つの短編なり本なり雑誌なりの中に手を替え品を替え出て来る奇妙な表記・表現は頭の悪さを雄弁に語っている。読者の方が恥ずかしくなって来る。こうならないようにしよう、と教育的反例になってくれる点で役には立っているけどね。

 さあ、勉強しよう。みんなも勉強しよう。ウィーンでなくても学ぶことは山ほどあるさ。ひみつ基地

ワインセラーに「the space battleship PINK」様追加

2006年08月22日(Tue) 10:17:59

 何とまあ、丸三ヶ月気づかずに今日まで。児童文学へ転んでいる間に館的には大変有難いことが起こっていたのであるな。
 先方様には大変申し訳ないのだが、放置プレイに入る以前に公平を期するため巻き添えでリンクを外させて頂いたところがいくつかある。びそっ子さんのDOUBLE-PLANETsもその一つだ。此度の別館様にも気をつけてお伺いしてクダサイ。地雷踏まぬよう。

 ではうさぎいぬモードに戻るよ。ひみつ基地

カイン

2006年08月21日(Mon) 08:35:13

 『私の嫌いな10の言葉』も出張先でヲシゴトのあと、数日で読了した。 これがまた痛快であった。 さきの『うるさい日本の私』はリアル闘争記であったが、こちらは『私の嫌いな10の人びと』に先立って出されたもので、より厳しい日本文化論の抽出となっている。闘争を回避し、出来る限り表面上の対立を排除し、見せかけの平和を保とうとする薄汚い善良な人々の心理を赤裸々に暴く。何と言うか、中島は一種の劇薬である。恐らく、これをたまさか読んだ善良な平和主義者もまた中島を賞賛し、自らの愚かしさを白状して積極的に中島教徒となってしまいそうである。現代日本のニーチェなのでは ? とさえ(注:最大の褒め言葉だよ)ちらと思うが、いやいや、ニーチェはこんな下品男ではなかったぞと思いとどまる。まあ、そのくらい厳しく魅力的な文章を書く男であった。

 さて、これら一連の戦う哲学者としての側面を知ってしまった後、『カイン』を読んだ。意外。副題を「自分の「弱さ」に悩むきみへ」という。悩める若者に語りかけるという文学的形式を取っていることが、まず何より意外であった。あの毒舌中島が、こんな優しげな語りをすることができるのか?! 読み進むうちに明かされるのだが、中島自身が実は幼少時からペシミストで、感受性が鋭く、世を人生を憂えて泣いてばかりいる子供だったそうである。だから、語りかける若者・T君はいわば中島の分身、30年前の自分でもあるのだった。世のマジョリティと馴染めず、妥協もできず、死の恐怖に日々怯え、引きこもり・・・・・・今や力強い下品男となった中島の無垢な魂が、この書には全面的に現れていた。ニーチェ風に言うなら「血を以て書かれた書物」である。本業の学術書以外で中島の代表作とさえ呼んで良いと思う。

 引用「普遍性はないのかもしれない。しかし、大きな声をあげることもできず、誰とも喧嘩することもなく、ただただ弱くおとなしい少年であったぼくが、絶対に信念を曲げず、千人が異論を言おうが「違う」とはっきり抗議し、やりたくないことは「厭だ」とはっきり言い、やりたいことは絶対に諦めず貫き通し、結局は自分のしたいようにして足蹴にされてもしかたないと居直っており、しかもこういう厳しい状況の中で真に生きがいを感じている強い男になったこと、これは事実である(・・・・・・)」p.16

 中島が気難しい下品男になってしまったのは必然だったのかも知れない。そうならなければ、とっくに自殺していた。そのくらい繊細な少年だったのだ。生きることの意味が解らず、かと言って死ぬことは怖くてたまらない、悩んで悩んで悩みぬいて自己を鍛え上げたのだ。

 一般に、哲学者の書いたものは難解だ。当然である。哲学を語るための基礎言語が異なるのだから。日常語をはるかに超えた言葉を操るには職人並みの修練が必要なのだ。理解できないのは大抵読者の方に問題がある。知能が追いつかなかったり、修行の量が充分でなかったり、意欲がなければ理解には至らない。しかし、これらの中島の言葉は理解するのに易しかった。きっと真摯に生きようとする者の誰にでもまっすぐに届くのだと思う。それは、血を以て体験され、魂の叫びとして語られた血文字だからだ。リアルに基づいているからだ。それゆえ、最上の指南書。

 『カイン』の言葉が届かないとしたら、ひょっとしたらそれはその読者が人生について考えたことがなく、のらりくらりと怠惰に生きているからではないだろうか。親から不幸にも毒の遺産を受け継ぎ、愛されなかった腹いせに他者を陥れることが無上の喜びであるような下劣な人間になってしまったことは、確かに本人の責任ではなかろう。気の毒である。

 ただ一つだけ中島を見習いたくない点がある。強くなる余り下品になること。中島にしてみれば、それこそ「品」とはかなぐり捨てるべき傲慢のかけらなのかも知れないが・・・・・・アルフォン少尉は下品であってはならないのだ。

願わくば海の上にて

2006年08月13日(Sun) 23:34:03


 本日入手のBGV、波音のCD付きで大変お買い得。モルディブだし、ボサノバだし、言うことなし。いいよー。魂の洗濯しよう。珊瑚礁の海はいいね。夏の間浮いていたいけど明日からまた今夏二度目の出張ざんす。珊瑚礁とは縁もゆかりも無いとこ。行ってきまーす。ひみつ基地

コーチング

2006年08月13日(Sun) 23:11:40


 本日買った本のうちの一つ。これまで切実に必要というわけでもなかったけど、シャチョーをやってると人を動かすことが求められるようになる。とは言え、人格を手段として扱うことは大嫌いなので避けてきた分野だった。べんきょーしよ。

 ついでにワカモノたち(いれば)にアドバイスの一つでも。
 先日わたくしのところへ採用試験受験にやってきた音楽関係の一人のこと。
・いきなり遅刻。
・課題曲(バッハ『インヴェンション』とショパン『エチュード』から一曲ずつ)デモ演奏録音物、用意できず。後から送るとのこと。(ところが一週間以上経った今も録音機械が直っていないそうな。)
・履歴書、手書きでなくワープロ打ち、誤字脱字変換ミスのまま、しかも破れあり。
・聴音の実技試験、殆ど書き取れず白紙に近い。
・一般常識筆記、零点。
・身なり、女性だったからとは思うが、サンダルで裸足。
・課題小論文、800字以内の規定のところ400字と少々。

 面接では彼女の人柄が素朴で前向きで温かく、善い人であることが非常によく解った。さて、わたくしは彼女を採用するであろうか。

美しい日本の私

2006年08月13日(Sun) 10:27:24

 とは川端康成の言葉であるが、『うるさい日本の私』は勿論それをもじったものであろう。出張先で中島本を大量に発見してしまい、おお、読まれているんだなと認識を新たにした。戦う哲学者であることは以前にも書いた通りだが、その戦記とも言うべき「善良な市民」との血みどろの闘争記である。しかしこれほどとは思わなかった。なまじ生中島を知っているだけに「スゲーっ! 中島さん凄いよ」というのがわたくしの感想であった。

 中島は公共施設を始めとして公共交通機関・デパートなど、ありとある騒音元の実行者・責任者と個別に膝を突き合わせて話し合う。環境庁ともやる。時には(と言うか頻繁に)大喧嘩になることもあるが、諦めずに不愉快でない程度の静けさを取り戻す闘争を続ける。件数たるや膨大なものであった。その中で、マジョリティの暴力が「優しい」日本人文化の構造に基づいたものであることが明らかになって来る・・・・・・
 これについては読み終わってから改めて。

 わたくしもかつてシャチョーでも何でもなく一般民間人だった頃に、二つばかり戦ったことがある。それは騒音に関してではなくて、どちらも文化講演を売り物にする会社で、招聘している講師が問題ある人物だったからである。
 一つは日本古来の礼法の講座でのことだった。文章書きなので、書くのは速い。さらさらノートをとっていたわけだが、いきなりその講師が「スパイなんですか」と言ったのである。

 はぁー?

 講座でノートをとるのは当たり前のことと思うが、筆が速いからと言ってなぜ「スパイ」容疑なのであろう。その時は以前講義内容をどこかの雑誌に無断で載せられたからとのたまったが、それにしてもこの講座は「礼法」の講座である。話者は「礼法」の講師である。学習意欲あるお客様に対していきなり何の侮辱をしているのであろう。
 まあその日は一受講生の立場的に大人らしく収めておいたのだが、講師の女は「わたくし=潜入雑誌記者」との疑惑をもって最終回まで試すような言動を取り続けた。早く苦情を言った方が良かったのかも知れないが、次期継続の勧めがコーディネーターから来た時に、実はこれこれしかじかで、と説明すると大変驚いていた。
 その時はまだ若かったので、少し我慢して辞めれば済むことと思っていたが、理のあることはきちんと主張すべきなのである。後、その講師のもとには受講生が集まらず首になったそうだ。伝統的な礼法の世界だと言うのに、色々問題あるヒトだったらしい。(ついでにそこの会社自体も経営が下手で潰れてしまった。誰でも知っているかなりの大手企業が主宰する教室だったのだが・・・・・・)

 あともうひとつはもっとずっとえぐい戦いになった。裁判沙汰。疲れ果てた。でも、わたくしが勝った。先方の社長がわたくしに頭を下げた。問題ある講師は今廃人になっている。それについてはえぐすぎるからここで書かない。

 不愉快なことに耐えるべきではない。中島の闘争件数を知り、闘争経緯を知り、よくぞここまでと感慨さえ覚える。勇気とでも呼ぶべきものが湧いて来たよ。 
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