アルフォン少尉の館 屋根裏の手記

館主碧髪のサーダによる2005年10月下旬からの更新記録を兼ねた製作秘話

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2199シリーズの終焉

2013年09月03日(Tue) 00:51:49

 さて、いきなり問題の最終話だが、なぜこんなにも腹が立ってニヒリズムに陥ったのか、先に整理しておきたい。これは一話分としての感想ではなく、シリーズ全体の締めについてである。一エピソードとしての細かいことは後日。

続き

 まずは、コスモリバースシステムの理論がありがちな似非SFのご都合主義だったこと。これは24話のスターシアの語りからずっと引っかかっていたことだが、このような結末に至って、怒り心頭。スターシアによると古代守の記憶が荒廃した地球を再生させるエレメントになっているとのことだが、何やらよく解らない。そんな理屈はサイエンスフィクションのサイエンスの名が泣くぞ。そんな貴重なものを、残留思年の? 守は個人的な心情で血縁の魂の救済のためにとっとと使ってしまった。そんな男では無かった筈だが。真田が「なぜ今?!」と激昂するのも尤もだし、たとえわたくしが事情を知った乗組員だったとしても、古代進の親友だったとしても激昂する。「いいじゃないか、星の一つや二つ」などと言う南部なら雪に惚れているので安易に歓迎かも知れないけれど、兎も角、長い長い旅路の果てに地球を救うための最後の切り札を弟の大切な人のため、ただそれだけに使うなどということは、責任感ある者なら絶対にできない筈なのだ。

 雪には犠牲になってもらう。それで地球全体が救われるのなら。最大多数の最大幸福という功利的考え方ではあるが、たとえば国家間の戦争など、多くの国民を守るために比較的少数の鍛えられた兵士を戦場に送って、犠牲になってもらうのである。。。雪は、ヤマト乗組員は、プロフェッショナルの兵士。犠牲になるかも知れないことを覚悟して戦場に赴いたのだ。多くの国民を救うため。ならば、守が力を使うべき対象などではありえなかった筈。
あの意思の発現によって、守はつまらない、情にもろい男になり下がってしまった。それとも沖田が遠からず死ぬことを予見してやったのか? ならばまだ守を擁護する余地もあるが…結局地球を救ったのは沖田の命と記憶ということになる。勿論、オリジナルでもなぜ雪が生き返ったのかは理論的に後づけされなかった。仮死状態だった雪が復活した、それがあたかも沖田の命の炎が消える代わりに魂が入れ替わったかのようであった、という説明は、苦しいができないわけではない。だが、2199では雪ははっきりと死んでいる。苦しむ弟・進を見かねて、力を持った兄・守が「俺がしてやれることはこれしかない」と、意思表示している。この点で、出渕監督は最後の最後に詰めを誤ってしまったのである。よもやオリジナルを名作として立てるために、自分の作品で馬鹿を演じて見せたわけではあるまい。

 16話以後、ユリーシャが岬に憑依していたことを公認の事実として前面に出してしまうのも、うすうす奇異に感じていたものだ。岬をユリーシャと認識して沖田艦長が話しかけているのは超常現象で、受け入れ難かった。だが監督がそれをコンテクストとして必要不可欠とするのなら最終話までかなり「我慢して」黙認するつもりだった。が、結局古代守までそんなわけのわからないものにして出すとは……呆れ果てた。
 「奇跡」というのは夢落ちと同格である。説明がつかないから奇跡なのである。何でもありである。これまで、散々緻密な理由づけを行ってオリジナルの理論的破綻を補ってきたというのに、最後が奇跡で片づけられるとは何事であろう。
 二回目に見ても、やはりこの煮え切らなさと失望の塊は溶けてゆかないと思う。もはやあるがままを受け入れられる無垢で無知な子供ではないから。公開最終日までのあと数日、自己に鞭打って、一度目に感じたことどもを言葉に紡ぎださねばならない。それがファンの務めだと思うから。負け戦と分かっていても、愛情を持って見届けるのがファンの仕事だと思うから。敢えてまた厳しいことを言う。愛情を持って深い失望とともに。2199は、最後の最後に駄作になり下がった。
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