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アルフォン少尉の館 屋根裏の手記

館主碧髪のサーダによる2005年10月下旬からの更新記録を兼ねた製作秘話

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第26話

2013年09月14日(Sat) 03:45:22

シリーズ全体についての失望はこちら。→2199シリーズの終焉
あとは細かいことを補足する。

続き

[26]

「何もかもみな懐かしい」は、初めて聞く人にはこれで良いのかも知れない。ところがこちらの耳はオールドファンのものである。いまわの際の力弱さが出ていないように聞こえてしまう。かすれ声、光の凪いでゆく優しいまなざし、迸る男の涙、あれらは、どんな最新の技術を以てしてもオリジナルを超えられなかった。確かに、菅生さん以外に今沖田を演じられる人はいないと思うが、それでも最期が元気過ぎた。この声はあと何年も生きられる人の声だ。

 一度雪の意識が戻ったことの必然性は何だったのか?「もういちど古代君に会いたい」という最期の言葉を伝えるため? そして、ロメオとジュリエットのようにすれ違いになる死の時期により、一層悲壮感を煽るため?

 地球が近づき、見に行こうと浮足立つ隊員に肩を当てられくず折れる古代の、顔が映らないところは巧かった。今や絶望のどん底に居るのである。もう、ふらふらになっていてもおかしくない。が、古代のひとり語りは説明的に過ぎた。「意見の違いから」云々というのは要らん。第一、今シリーズでは雪と古代の絆の深まり合いというものが淡泊にしか描かれなかったので、七色星団の拉致以来のにわか仕立てにしか思えない。古代は随分幼く、弱弱しく、主人公の格を退いていた(主人公は沖田だからこれでいいのか?)

 雪が守によって甦らされ、抱擁する場面。。。守は「沖田さん、艦をお返しします」と言っていたな。つまり、沖田の死が遠くないことをやはり知っていたのだ。そうすると、雪だけでなくほかに霊安室に居る乗組員も甦っている筈だが?

 んー、自分が年寄りになったとも思わないが、あの状況でkissというのは不自然かなーと。生死をかけた問題の解決には、性的な表現ではなくて熱い抱擁でしょう。kissは、妙齢の乙女とか妙齢のオバサマは歓迎かも知れないけど、青少年にはきつく、海千山千には生ぬるいかと。ま、そんなにねちっこくなかったのが救いである。気持ちを確かめあったということであるな。

 ほか、カップリングについて。加藤と原田は予想通り。原田が「私ね、こんど加藤さんと一緒になるんです」と、意識の無い雪に陽気に語りかけるところは悲しみを煽って良かったけれど。一緒になる、などという古臭い昭和なものの言い方が原田の本質を端的に表していた。そうは言いつつも、結婚式を艦内でやるなど、古代進が気紛らわしのためにわざと大げさにしているだけで、むしろやれやれと焚きつけた古代のエゴのような気がする。物語としてはこういう柔らかめの描写を26話のシリーズ最終話でやるものではない。この点でまた監督は小さな失敗をしている。以前、間延び、と言ったのはそういう意味だ。デスラーの襲撃と雪の絶命・蘇生は、やはりオリジナル通り一話の中でまとめるべきだったか、あるいは25話で雪絶命の引き、26話は半分程度の尺で良かったかと。

 原田は五人のヤマトガールの中では一番地上的・母性的な人で、母になるという結末が似あっていると思う。わたくし個人も、嫁にするなら原田、だしね。かみさん、おっかさん、という感じ。一緒に居たら厭なところも目について来るんだろうけど、生活するってそういうことだし。お互い様だし。ちなみに恋人雪・姉新見(若草物語なら長女メグ! 笑)・妹岬(四女エイミ)・女友達山本(男勝りの次女ジョー)といったところか。ま、わたくしは雪だけ居ればいいんデスガ。

 篠原と山本もやっぱりねという感じ。「次はおれたちの番だぞ」は昔の古代の台詞を踏襲しているけど、山本にどつかれてしまって、またまたお気の毒。わたくしは篠原を2199のキャラクターのうちで最も買っているのだ。一見軟派だけど、実は男の包容力という点で誰より大きい器だと思う。山本が古代に思いを寄せているのを知りながら、それでも強がっている女を、そしてその相手の古代を嫉妬せずに、静かに全部を包むところ、あっぱれである。男っぽい女と、女っぽい(けど実は男の中の)男、バランスが取れているかも。

 そして、どうでもいいことをふと思う。芹沢とか、新見とか、帰ったらどうなるんだろう。芹沢は高官なのでよくわからないが、新見は勿論軍法会議送りで軍から外されるだろう。人材不足だろうから、どこか研究所で雇ってもらうか。真田が個人的に助手として雇うか。

 雪が甦って第一艦橋で祝福されるところは蛇足であった。みんな、雪が本当に死んだことを知らないのだから、静かに迎えれば良かったではないか。山本が複雑な顔で挨拶に来るなぞ、陳腐で全く目をそむけたくなる。心から歓迎? するわけない。恋敵が戻って来たのだぞ。かつて、山本はひそかに雪が消えることを願ったかも知れない。いざ居なくなってみて、初めて自己の醜悪な感情に愕然とする。だから、生き返ってくれて良かったと、山本は自己の想いを葬り、同時に葛藤に結末をつけられたのだ。これらは山本が独りで、自分のヒトとしての品位を巡ってぐるぐるしていた天国と地獄。それに敬礼で返す雪の反応もくだらない。。。守の台無しに環をかけるというものだ。

 最後に、沖田の命によってヤマトが担われ(?)地球が甦るところ。音楽は元祖交響組曲の『明日への希望』合唱部分。これを持って来るとは意外であった。が、大団円には適切であった。守の論理的破綻さえなければ、わたくしも感動のうちにナミダナミダで快哉を叫んで終われたと思うのに、まことに惜しいことである。

 氷川竜介もプログラム冒頭で書いている。引用「筆者自身、1975年の最終回直後に何をしたかと言えば、高校生の拙い筆で『本当はヤマトの最終回ならこうあるべきだ』などと、生意気な文章を書きつづっていた。全肯定でも全否定でもない。」このあと現在もまた受け止めた一人ひとりが意見をぶつけあう最も楽しい時期である旨結ぶ。だが、こんな風に書いたということは、氷川自身今回の結末にも納得しなかったということの表れではないだろうか。

 別にわたくしは氷川の肩を持つ立場でも何でもない。が、アニメ評論家という職業が成り立っている以上相当数の作品を視聴しているのだろうし、専門家として一目置くべきと思う。以前一冊だけ著書を読んだ。突出した著書でもなかったが常識的ではあった。またそれ以前に、(2012年発刊ヤマトブルーレイに収録された)当時の貴重な資料を初期の一ヤマトファンとして私有・保管していた行為は慧眼で、全てのファンが感謝すべきだと思う。そういうヤマトファンの大先輩が、やはり「あれっ?」と感じたかも知れない結末なのだ。

 とまあ、最後の最後にこけてしまった2199。終わりが近づいて淋しさ一杯だった公開前とはうって変わり、今は白けている。でも、復活篇や実写とは別格であること間違いない。作り手がかつてのファン少年たち自身なのだから。商業的なバイアスが多少入るのは仕方ない。それでもここまでできた。そして、続きがあることは本編中で匂っていた。これからも愛を持って厳しい目で見届けたいと思う。
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