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アルフォン少尉の館 屋根裏の手記

館主碧髪のサーダによる2005年10月下旬からの更新記録を兼ねた製作秘話

のだめカンタービレ二回目も抱腹絶倒

2006年10月23日(Mon) 23:10:55

うひーオモシロカッター。先週の放送翌日、別に買おうとか思わないんだけどたまたま本屋に寄る用があって、早速平積みで飛ぶように売れていた。何か特別版があるんだって ? 最新刊の16巻は。それが、きっとおぢょうちゃんに頼まれたらしい母親が書店員に尋ねていたのだがすべて売り切れだとか。へえ。凄い人気だね。尤も、一話があれだけインパクトある役者揃いだったら当たるだろうなあ。

 で、今日は新展開、赴任してきたドイツの指揮者シュトレーゼマン(竹中直人)が主人公・千秋の指揮科への転科を認めない事件、のだめとティンパニ青年(かま ?)との千秋の取り合い対決、ロックヴァイオリン金髪青年(例の、伊武さんが父役)の試験でのだめが伴奏することになるくだり、と、盛り沢山である。これら別々の事件がうまいこと絡み合って次回へと繋げるところ、感心した。脚本がうまいのか、それとも原作がこうなってるのか。終盤、とうとう千秋がシュトレーゼマンの選んだ生徒たちのオーケストラ「Sオケ」で指揮をすることになる。初めて夢への第一歩を踏み出すのだ。

 感傷的だが、やはり心に沁みたのは千秋の魂の言葉である。ロックに傾いていた金髪青年に千秋が諭すともなく諭すところ。めちゃくちゃな弾き方をして自己表現と勘違いしている金髪青年は、ピアノ科の千秋がふと手に取ったヴァイオリンをこの上なく素晴らしく弾きこなしてみせるのに驚愕、ヤな奴と思っていたのに度肝を抜かれる。聞けば、千秋は幼少の頃からピアノもヴァイオリンも反吐が出るほど練習して来たと言う。敢えてピアノ科なのは、指揮のため色々楽器のことを知らなければならないのにまだまだピアノは練習不足だと思ったから、だったかな。千秋の傲慢にも思える態度は、それだけの練習による自信に支えられていたからなのだ。

 その通りなのだ。一流であり続けることは、なにも芸術家だけに限らず、大変な物理量の鍛錬を必要とするのだ。器用な人もたまには居る。モーツァルトのような天才も極たまには居る。しかし、オリンピックの零コンマ一秒レベルでの戦いで勝ち残るには、運と圧倒的技術の量が必要なのだ。

 なのに、そこに至るまでの努力がどれほどのものであろうと、結果が全てである。「一生懸命やりました」で報われるほど世の中甘くはないぞ。実は、わたくしが昔シャチョーになる以前ヒトの下で働いていた頃、そこの一番偉いヒトが言っていた言葉だ。人格的に優れているようには見えなかったけれども、確かに大企業のトップになれるだけの才覚を持っていた。「一生懸命やりました」で報われるのは例えば小学生までだ。

 ついでに。ニーチェは人間の在り方を綱渡り師に喩えて語っているのだが、まさに一歩踏み出すも危険、引き返すも危険、ほんの少し集中力を欠いただけで真っ逆さまに転落して死ぬ。一所懸命だけでは駄目なのだ。

 こういう芸術家の生活を知っていると、傍から見ているだけなのに自分のことのように冷や汗が滲んで来ることがある。だから、芸術家が世間的にも(自己満足でなく)報われる晴れがましいことがあると、魂の躍動を感じる(さしあたって今はゲオルク・ハレンスレーベンに対してだがな)。甘っちょろいこと言ってる奴は大嫌いだ。見込みのある奴には、練習しろっ ! 勉強しろっ ! とどやしつけるばかり。縁なき衆生には関わらない。限られた人生に於いて、それは時間の無駄である。

 とゆわけで来週も大変楽しみなのだめであった。今日も屋根裏は辛口だねえ。お気楽だけのがいいヒトはこちらへ。ぢゃ。
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